面白いゲームの正体

面白いゲームにはどうしたら出会えるのか。

 

これは最近ずっと考えてることであり、それと同時に考えたところで答えに近づけるのかとも思うテーマ。

面白いゲームに出会うためには、まず「面白いゲームとは何か」を考えなければならない。正体がわからないものは探しようがないからである。

 

ここで「昔と今とのゲーム購入環境の違い」から話す必要がある。

 自分は幼少時代、親にゲームソフトの中古屋に連れて行ってもらい、そこで選んだものを買ってもらってゲームをプレイしていた。

中古屋なので箱や説明書が必ずあるとは限らない。中には透明な小さい袋にカセットだけ入った状態で商品棚のフックにぶら下がっているものもあった。その場合はカセットに貼り付けられたイラストのシールだけでそれがどういうゲームなのか判断しなければならなかった(しかもカセットのシールはほぼ確実にゲーム画面じゃなくイメージイラスト)。

もちろん吟味に吟味を重ねるが、どうしても博打になる。しかも2本までとか、500円分とか、制約があるので慎重になる。

 それに対して今のゲーム購入の仕方はというと、気になるタイトルを見つけたらまずレビューを読む。インターネットが発達している今、レビューを集めるのは全く苦労しない。動作は安定しているか、テンポはいいか、設定面は充実しているか、etc.

なぜレビューを読むのかというと、買い物を失敗したくないから。自分が払う金が無駄にならないよう事前に情報を集めるのだ。

そして買う。評判通りの面白さ。UIの機能性も高くテンポもいい。買ってよかった。

 

一見すると、現在のほうがスムーズに面白いゲームに出会える買い方のように見える。

 確かにこの方法だと失敗はないだろう。だが、最近になって一つ気づいたことがある。この買い方だと「ギャップ(差)」がない。

  人間はゲームに限らず、ある作品を体験したときに「作品自体の面白さ+ギャップ=最終得点」として評価する。

例えば面白さ100点の映画があるとして、前評判100点を頭に入れてから映画を見るのと、前評判50点を頭に入れてから映画を見るのとでは、後者の方が印象に残りやすい。

それは「思っていたより面白かった」分が記憶として残るからである。映画の内容は同じだとしてもだ。

 つまり、今のゲームの買い方はレビューを集めれば集めるほど失敗しないが、ギャップが埋まっていく分潜在的面白さがなくなる買い方だと思う。

 

それともう一つは、選択肢の数の違い。

 昔の買い方は、ゲームという石橋を叩くにもまず買う必要があった。そして叩いたあと脆い事が分かっても渡るしか無い。他に渡る橋がないから。だから全力でプレイしていた。

けれど今は好きなだけ無料で石橋を叩くことができる。脆ければ他にいくらでも橋はあるので乗り換えればいい。何なら探す手間を省くためにすでに人でごった返している橋にすれば失敗しない。橋の上で写真撮影や自撮りをしてる人がいるなら多分景色もいいんだろう。

 昔は選び抜いたゲームしかプレイできなかったため全力で向かっていた。小さい頃からずっと虫が苦手なのに、N64スターツインズで初めて敵を倒したときの描写の衝撃を乗り越えてプレイしていたのは今考えても凄い(敵がアリ兵なんだけれど倒すと体液が飛び散る。最初倒した時驚きすぎて3秒位固まったのを覚えている)。

 

 面白いゲームをやるために事前に情報を集めるが、そのせいで「思ってたより面白かった」がなくなっていくジレンマ。それに加えて、選択肢が豊富なため序盤で少しでも不満に感じた瞬間他に乗り換えることの出来てしまう環境。

 結局面白いゲームにできるかどうかはプレイヤーの遊び方に左右される部分もあり、事前に面白いことを確認できた上でそれ+想定外の面白さが得られるような買い方ができればゲームをより楽しめるんじゃないかという話だった。誰かうまいことつくってくれないかなそういう購入システム。